一般的に言って他国の地方選挙などは、公私のどちらかでその土地と何等かの関係がない限り、外国人は余り興味を示さないのが普通のようで、アメリカの地方選挙でさえ例外ではないと聞く。
ましてやカナダの一州となれば「で?」なんて言われそうだが、ケベック州の場合は、たかが州選挙では済まされない面がある。「何が?」と問われれば、それは戦っている2人の候補者のどちらが勝っても、その結果がカナダという国の将来を大きく分ける運命を背負っているからだ。
ケベック州はそのフランス系の人々が一番多く住む州で、国で定める2公用語のうちフランス語が第一言語となっており、また「ケベックの独自性」を国は認めているのだが、それだけでは空き足らず、連邦から分離して独立したいと長い間思っている州である。
とは言え、どの党の誰が州政権を取るかによってこの問題は棚上げされたり、遡上に乗ったりとめまぐるしく変わる。しかし今までもまたこれからも、分離派には分離派の、連邦派には連邦派の言い分があり、「SOVEREIGNTY(独立国)」という問題が持ち出されるたびに、分離派も連邦派もそれぞれの立場を主張するのである。
さて、今回の州選挙はこの4月連邦保守党首から、ケベック州自由党党首に変わった若干40歳の、分離反対派のジャン・シャレー氏と、彼より20歳年上で分離派の、ケベック州首相(ケベック独立党)ルシアン・ブシャー氏との間で争われている。
つまりシャレー氏が当選すれば統一カナダの面目が保たれるが、ブシャー氏が勝てば、かならずや近い将来、ケベックが分離する方向に大きく動く可能性が今までと同じように極めて高いのである。
ケベック州は過去2回分離するか否かの州民投票を行なっている。先回のは95年で、この時はわずか1.2ポイント(反対50.6%、賛成49.4%)の少差で敗れ独立の夢は流れてしまったが、もちろん今でもそれを望んでいるフランス系の人たちが沢山いる(10月の調査では反対52.1%、賛成47.9%)。
ブシャー氏が現ケベック州首相になったいきさつは、この95年の州民投票を指揮した当時の首相パリゾー氏が、小差で否決された悔しさからその理由を「金(反対派の多い経済界)とエスニックの投票のため」と口走ったことに始る。この一言はパリゾー氏の命取りになり、翌日辞任に追いやられたのを受けて、ブシャー氏が連邦政界のケベック独立党党首からケベック州のケベック党党首に横滑りし、そのままケベック州首相に就任したのである。
先回の総選挙(94年9月)から数えて4年2ヶ月の今、横滑りで得た地位ではなく自分自身の力で選挙を戦って見たいからと見られている。その背景には現在ケベック州民の間で、ブシャー政権の支持が予想以上に高まっているという事情がある。しかし党内の慎重派からは、ケベックの財政政権の目途が付く99年まで待った方がよいのではという意見も聞えてはいる。
だがブシャー氏はこの問題を忘れた分けではなく、むしろ今から3年後辺りの2001年頃を目途に、確実に勝利する準備を整える期間を設けているに過ぎない。つまり今回の州選挙は、第3回州民投票に必ず勝つための足踏みの第一歩と言えるのである。
彼の選挙に対する新路線は、良く知られているケベックのナショナリズムを拭い去り、フリー・エンタープライズを軸にしたケベック社会を造るべきだという主張である。ケベック州というのは他の州と異なり、投資、年金機関などあらゆる分野で政府とのつながりのある企業が多く「ケベック・インク」と指摘されている。これは戦後のケベック近代化の大元になった「静かな革命」と呼ばれる伝統で、彼はそれに訣別しようという呼びかけいるわけだ。
言い換えれば政府の民間事業への介入を縮小し、大幅な減税を政策目標としているのである。だが逆にいえば、政府の息がかかっているがために今日のケベックの発展があるともいえる分けで、それを否定するのは政治的に大きな懸けと見る人も多い。
もちろんいずれの選挙の時もそうであるように、どちらが勝つか最後まで分からないものの、シャレー氏が勝てば、カナダ連邦政府は分離の悪夢に悩まされずに21世紀を迎えられるだろうし、逆にブシャー氏が勝てばこの国の将来の見取り図が大きく変わることが容易に予測される。
加えて負けた方はその政治生命を完全に絶たれることになる。分離派の旗手としてケベック政界を率いるブシャー氏、国の統一を目指して連邦政界からケベック政界に転じたシャレー氏。どちらも一歩も譲れない立場にある。
歴史的調印
カナダで初めて、インディアン部族(ニシュガ族)の土地所有権、自治権を認める地域が、太平洋岸のBC州に誕生し、8月4日に連邦、州政府を交えた三者の間で調印式が行なわれた。
場所はバンクーバーから約千キロ北西にあるニュー・アイヤンシュ地区の、ナス渓谷の南側に位置する一角。広さは本来のテリトリーの1/10以下しかない面積だが、この調印は百年以上の長きに渡っての交渉の結果成立したものである。
別記の一覧が主な取り決めの内容だが、歴史のうねりが大きく変わる時の常として、すでに各方面からの賛否両論が聞かれる。まだこれから細部のつめが行なわれるが、かなりの難航が予想される。
とはいえ、この調印はもちろん大きな前進である。だが最終的に条約が批准されるには、ニシュガ族の部族投票をへて、BC州議会やオタワの承認を得なければならない。
カナダにはヨーロッパからの白人が移り住む前からの先住民が――言って見ればこの人たちが本当のカナダ人と言えるのだが――数え切れないほどいる。今回の調印に至るまでには、単独にニシュガ族だけが連邦、州政府と交渉したのではなく、50以上ものインディアン部族が関与している。 将来彼らが同じように独自の権利を獲得する上にも大切な意見交換である。
インディアンの歴史
歴史をさかのぼると、ニシュガ族が最初に州を相手取って土地所有権についての交渉を始めたのは1887年。考えて見ると千年以上も自分たちが住んでいた場所の権利について、後続の支配者である白人に交渉するというのもおかしな話だが、当時のウィリアム・スミス州首相は「自分たちが入植した時には、お前たちインディアンは獣よりちょっとましなだけだった」といって要求をはねのけた。
その後1970年代の半ばころまで先住民の権利は一切退けられたが、このあたりから、国が条約の話し合いに応じる意向を示し始めた。そして2年前に基本的事項の合意に達し、今年になってやっと法的な手続きを踏むまでになったのである。
賛成派
調印式に臨んだニシュガ族のチーフ、ジョー・ゴスネル氏は、人生のほとんどを自治権闘争に費やした人だが、「土地の所有権争いのために死んでいった年寄りたちが沢山いるが、それでも今日生き残っている老人がこの式典に出席しているのは嬉しいことだ」と喜びをあらわにし、長い争いの期間を共に生きてきた人々の労をねぎらった。
それぞれの思惑が入り混じった両極端の意見をまとめるのに、どれだけの譲歩や駆け引きがあったかは容易に想像できる。しかし双方のカルチャーの壁を乗り越えて、合意に達したことに賛成派は惜しみない拍手を送っている。
またニシュガ族の若者たちにとっては、自分たちがただの先住民ではなく、一つのソサエティーに属する可能性が生れたことは、大きな心の支えになるという。
反対派
一方今回の調停を真っ向から反対しているBC州の自由党や改革党は、「ニシュガ族に多くを与え過ぎている」と言い、また関与している他のインディアン部族側の言い分は、「ニシュガ族の取り分は余りにも少なすぎる」と主張する。
同じように独自の権利を主張する他の部族にとってこの同意は、いろいろな意味で前例を示ことになるため、ここでも各方面の意見が交差する。
資源等にからむ経済的な立場から見ての反対意見もあるが、自由党や改革党は一つの種族にのみ特別な権利を与えることに強い懸念を示し、州民投票をすべきだとも主張するのである。
こうして異なった意見はあるものの、世界を見まわした時に、自分たちのアイデンティティー確立のために、多くの人種間で血生臭い争いが繰り返されている中、平和的な交渉で解決に向けての話し合いが進んでいることは、まことに賞賛に値するといえるだろう。
基本条約
1.約二億ドルの条約基金の支払いを受ける
2.ナス渓谷下流の約二千平方キロに渡る土地を所有しその権利を有する
3.領土内の資源(特に森林、鉱山、漁業など)を所有する
4.税金免除の特典が解除され支払いを開始する
5.約五千五百人がニシュガ族として認められる(族としての条件は先祖の中にニシュガ族の女性がいること)
6.カナダの憲法によって保護されるが、それと調和の取れた独自の法律を作成する(各種の刑法、自由と権利に関する憲章、言語、文化、ソーシャル・サービス、 雇用、交通などに関する法律が加味される)
7.保護地区という郵便スタンプは解消される
OCS NEWS No.585 Aug.28,1998
カナダ総選挙1997年
あなたはカナダの首相の名前を知ってますか? いやもし知らなくても「恥ずかしながら...」なんて恐縮することはありません。あなたに限らず、アメリカ人でさえ幾人の人がすぐに「ジャン・クレチェン!」なんて言えるでしょうか? 「本当にそうかな?」なんて思うなら回りのアメリカ人の友だちに聞いてみてください。
カナダの国とカナダ国民
いや別にアメリカ人がカナダの首相の名前を知らないからと、自虐的になっているのではないのです。でも同じ北米大陸に位置する隣国の首相の名前さえ知らないアメリカ人が多いのなら、地球の裏側の日本の首相が知られていないのは当たり前のことと言いたいのです。あの見事なまでに櫛の通った、おくれ毛の一本もない、ポマードてっかてかの頭をかざしてワシントンを訪問しても、アメリカのマスコミがほとんど騒ぎ立てないというのは当然のこといえるのではないかと思うのです。
でもカナダは地球の裏側ではないのだからと思うとちょっとがっかりもするのですが、これはアメリカ人が無知なのか、はたまたカナダも日本と同様に存在感が薄いのか分かりません。まあそれはさておき、米加両国は政治的にも経済的にもそれは深い関わりを持っていて、輸出入とも一番の相手国がこの2国間です。 しかしよく使われる例えは、象と蟻の関係や、一方がくしゃみをすると一方が風邪を引くなんていうものです。どちらがカナダでどちらがアメリカかいわずと知れたことでしょう。
面積はロシアについで世界で第2に広く(日本の27倍)、そこにわずか人口3千余万人ほどが住んでいるのですが、その約3/4はアメリカとの国境線沿い300KM以内に集中していて、行政区分は10の州と2つの準州から成り立っています。また今から2年後の1999年には、2つの準州の一つノースウエスト準州から新しくヌナブゥート準州とういのが分離独立する予定です。
もちろん北の方はツンドラ地帯で人が容易に住める地域ではありませんが、でも何しろこれだけ広い国にアメリカの1/7くらいの人口しか住んでおらず、またアメリカに比べその歴史は約100年くらい若いので、同じ北米大陸に位置する国といってもダウン・サウスとかダウン・ザ・ボーダー(カナダ人は国境の南の国、つまりアメリカをよくこう呼びます)とは大分異なります。
特に文化的にものすごく違いがあるのですが、まあ一口にいうと人々の考え方とか生き方がここは保守的で、ダウン・サウスのように開放的ではありませんが、似ていて異なる両国の違いはどちらがいいとか悪いとかいえるものではないでしょう。
でもよく耳にして面白いなと思うのは、カナダ人は外国に出ると(特にヨーロッパ諸国)ことさら「カナダ人だ」ということを強調してアメリカ人と一線を引きたがるのです。何故かというと、この「カナダ人だ」という一言によって相手の態度がガラッと変るからだとか。
ハンバーガーとポテトチップス以外を食物と思わないアメリカ人、外国文化を余り介さないアメリカ人、センシィティビティーのないアメリカ人とか、いろいろとあるネガティブなステレオタイプのアメリカ人像の一人に加えてもらっては困るというわけです。
さてそれでは何をしてカナダ人はカナダ人と定義ずけられるのかというと、これはまた非常に難しいものです。
米国が「人種のるつぼ(melting pot)と言われるのに対し、カナダは「人種のモザイク(mosaic)」と形容されます。つまりアメリカの「るつぼ」は融合しあうが、カナダの「モザイク」はそれぞれの形を大事にして独立していることを指しているわけです。
ですからここにはいろんな国から来た人たちが、いろんな文化を持ち込んで、いろんな言語をしゃべり生活しています。もちろんアメリカもそうですが、カナダはぐんと歴史が浅いだけに、例え「自分はカナダ人だ」という人にも「元をただせばあなたの先祖も何処かの国から来た移住者。根っからのカナダ人はイヌイットとインディアンだけですよ」と言えば反論はできません。
ちなみに公用語は英仏両方で、英語系66.3%、仏語系23%となっています。
でもその国策のモザイク文化主義がよいのか悪いのか簡単にはいえないのですが、それが政治問題に発展しているのがケベック州の独立問題です。英語を話すカナダ人と仏語を話すフランス系カナダ人との溝は深まるばかりで、95年10月に行なわれた第2回目の独立を問うケベック州民投票では、賛成49.4、反対50.6というわずか1.2ポイントの小差で一国を築く夢が破れました。このため98年に予想されるケベック州の選挙で、またくすぶっている分離問題がでてくる可能性があるのです。
連邦総選挙
自由党(LP/リベラル):
さてカナダには幾つの政党があるかご存知ですか? 米国のようにシンプルではなく、別表の議席数と党首の顔写真を見てお分かりのようにここには5つの政党があります。
まず今回の下院選挙で連続2期目の政権を獲得した与党は、クレティエン首相率いる自由党が155議席を取りました。過半数(151議席)よりわずか4議席多いのみで、解散時に比べ19議席も少なく、かろうじて過半数を制したといったところですし、首相は自身の出身地でも苦戦を強いられました。しかし全国的に見れば確かに自由党だけが全国政党ですが、この議席ロスは今後の政党運営に大きな影響を与えるでしょう。
下院の任期は普通4年(首相が望むなら5年)ですから、一期を半年から一年半(前選挙は93年10月)も繰り上げてのこの選挙に国民はビックリしたのですが、その背景には前述したようにケベック州の選挙が来年に予想されるため、できるだけ早い時期にケベック分離を反対しているフェデラリスト政党として、地盤固めておきたいと思ったのだろう、というのがもっぱらいわれていることです。
一期在任中の3年半の間に行なった大幅な財政赤字の削減を「やりすぎ」と見る国民も多いなかで、解散時に40%以上という高い支持率を得ていたにのに気をよくしていました。でも公約の「JOB、JOB、JOB]は約束通りに行かず、依然9.6%という失業率を維持していることや、GST(7%の物品・サービス税)撤回の約束も果せなかったことが、今回自由党不信の国民気質を反映したと思います。
しかしカナダでは、同じ党が過半数以上の議席獲得によって2期連続政権を取るのは44年ぶりで、首相はこの3年半の間に「イタリアは3人、日本は4人も首相が代わったのに比べると、カナダはとても安定していてる」と自画自賛。
今後4年あるは5年間の任期を終える時は、21世紀が始まっているため「この新しい世紀に向けてすべての政党や支持者が国作りに共同でとりくまなければならない」と国民に呼びかけています。
改革党(RP/リフォーム・パーテイー):
10年前にアルバータ州で結成され、カナダ西部緒州(ブリテッシュ・コロンビア、アルバータ、サスカチュワン、マニトバの4州)のみに支持率基盤を持つ右派系の党で、今回は何としてもオンタリオ州に食い込みたかったのですが、支持は得られませんでした。しかし議席数を前回の52から60に増やし、野党第一党になったことは党にとっては快挙です。ケベック州の独立には非常に厳しい態度を見せていて「もしカナダに残留したいと思う連邦支持者がケベック州内に多ければ州自身を分割することもありうる」といった意見を持っています。また中央平原州以西では、今まで政治的主導権が常にオンタリオやケベック州出身の政治家に握られていて、西側の要求が中央に通じないといった思いを感じている人が多く、この「反中央/反ケベック」の党は東のケベック独立党と裏表一体になっているのです。
進歩保守党(PC/プログレシイブ・コンサーバテイブ):
伝統的に2代政党の一翼をになってきたにもかかわらず、93年の選挙で惨敗し2議席しか取れず、この3年半全く陰の薄い存在でした。クレテイエン現首相の前は進歩保守党が与党で、ブライアン・マルルーニー首相が2期務めたのですが、彼は退任時に至上最低といわれる人気だったため、その陰をまだ引き摺っているのがこの党の不人気の一因といわれています。今回は20議席取れたものの、これは5党首のディベイトでシャレー党首が頑張ったからで個人的な人気が挽回の要因のようですが、それでも西側3州の支持は得られませんでした。
選挙戦で約束したタックス・カットと小さな政府という党の公約が何だか余りにも出来すぎた話だという人が多かったようですが、いずれにしても国会での質疑応答で認められるオフィシャル・パーテイーになるのに必要な最低12議席を得られたことは大きな躍進です。
選挙が終わった後、東側の支持を得られなかった改革党があの手この手でこの党に求婚を申込み、何とかして自分の方に振り向かせようとおちょっかいを出しています。つまりPCと組むことで州の独立を望むケベック独立党と立ち向かおうという魂胆なのです。
PCのケベック州に対する考えは、独立は望まないものの英語圏とは違うその独自性(「特別な社会」と言われる)を認め、それがあってこそカナダのカナダたるものだという意見を持っています。
新民主党(NDP/ニュー・デモクラチック/パーテイー):
5党の中で唯一女性を党首に持っています。PC党と同じように全くパワーのなかった党だったのが、議席数を9から21に増やし、これによって5つの党がすべてオフィシャル・パーテイーになりました。
国民が今一番心配しているヘルスケア、メディケアに力を入れること、失業率を5.4%まで下げるという公約が国民の歓心を買い、余り知名度のなかった党首であったにもかかわらず、12議席も増やすという勝利をえたわけです。特に東側(ノバスコシア、ニュー・ブランズウイック州)での活躍が大きな話題になっています。
当選したの夜の演説で「今日は新しい歴史が作られ、そしてこれから4年の任期の間に我々の党は今までとの相違を示すでしょう」と述べました。
ケベック独立党(BQ/ブロック・ケベックワ):
唯一ケベック州のみに存在する政党で、今回は54から44に議席を減らし、このため60議席を取った改革党に野党第1党の地位を譲りました。これは95年の州独立選挙でカナダに留まりたいと望む州内の反対側の意志が示されたと見られています。
しかしブシャール・ケベック州首相は、これは独立派が負けたということではなく、反って反対派との間の溝の深さを示したことになり「もう我々は独立するっきゃない」と言っています。
これは卑近な例に例えると、丁度お互いの主張を譲らない離婚協議中の夫婦のようなもので、どちらにも言い分があり、どちらもが権利を主張しているので、今までも、またこれからも延々と続く闘争と思われます。
ただ独立問題が表に浮上して来ると、当たり前ながら「一体カナダはどうなるの?」と不安を持つ外国の投資家たちが、ビジネスを差し控えたり、経済的な方面にパワーが向けられないため国の弱体化を呼びます。
では何故フランス系カナダ人がこれほど独立にこだわるかといえば、遠い昔(240年くらい前)戦争によって、フランスの最大拠点であったケベック、モントリオールが、英国人の手で陥落しそれ以後英領化したことに恨みを持っているのです。そして自分たち仏系カナダ人は英系カナダ人とは絶対に相容れられないのだと信じています。
でもそれなら文化の全く違う、そしてカナダの原住民であるイヌイットやインディアンの権利はどうなるのかということになり、ケベック州独立となれば彼等が黙っているわけはなく、英語で言う"BLOODY MESS"になることは確かです。
党首の横顔
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年齢 |
出身地 |
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ジヤン・クレテイエン自由党党首 |
63歳 |
ケベック州、シャウイニガン、 |
何と19人の兄弟姉妹の18番目として生まれ、苦学の末に弁護士になった話は有名。29歳で国会議員に当選して以来、蔵相、法相、外相などを歴任し、政治家としての経験は十分。90年に自由党党首、93年10月の総選挙で政権を取り首相になった。
同郷出身のアリーヌ夫人は彼のご意見番といわれ、今回の選挙後も党首としての演説の前に、常に人々の目に晒される公人としての生活の大変さと、長い間のサポートに対し心からの感謝を言い喝采をあびた。成長した3人の子供がいる。 |
プレストン・マニング改革党党首 |
54歳 |
アルバータ州、カルガリー |
エドモントン市の近くのポピユラリストの酪農家の家庭に育ち、亡父はソーシャル・クレジット党党首(現存しない)であった。大学卒業後はビジネス界に身を置いたが、10年前に改革党を組織し党首として西側の州の人気を得ている。
深い信仰を持ち(プロテスタント)、家族の価値観を重んじる生き方を貫いており、最近結婚30周年を祝ったサンドラ夫人との間に5人の子供がいる。5党首の中で唯一フランス語が話せない。 |
ジヤン・シャレー進歩保守党党首 |
38歳 |
ケベック州、シャーブロック |
ポッチャリと太り気味だったのを選挙前にスッキリと痩せて変身。若さとチャームで迫ったのが受けたといわれるが、何しろ2議席しかなかった政党だけに、選挙公約など何とでもいえる強みがあった。弁護士出身であるが政界入りは早く25歳の時。デイオン夫人との間に子供は3人。 |
アレクサ・マクドーノー新民主党党首 |
52歳 |
ノバスコシア州、ハリファックス |
父親の社会民主党へのサポートなどが影響して、政治的な雰囲気のある家庭に育ち大学卒業後は州の社会保険局に務めていた。
政治家としてのキャリアは79年ころから始まったが、知名度は余りなく今選挙もそれがネックになっていたが、議席獲得の意外な結果に一躍脚光を浴びている。
離婚しているが、成長した2人の息子が選挙戦で大活躍。 |
ジル・ドゥセッペ・ケベック独立党党首 |
49歳 |
ケベック州、モントリオール |
もと共産党員で政治家としての経験は長いが、まだ党首の座に就いてからは日が浅い。しかしケベックではだれが党首になっても「独立」という大義名分があるのでやって行けるとも言われる。はっきりとした物言いが特徴。英仏バイリンガルである。
ヨランデ夫人との間に2人の子供。 |
党派別獲得議席
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今回 |
前回 |
自由党 |
155 |
177 |
改革党 |
60 |
52 |
ケベック独立党 |
44 |
54 |
新民主党 |
21 |
9 |
進歩保守党 |
20 |
2 |
無所属 |
1 |
1 |
OCS NEWS Jun.,1997
加・ケベック州、独立に「ノン」
人種・性差別発言/分離派が自滅
カナダのケベック州で湧き上がった独立運動は、州民投票の結果、否決された。その過程を追ってみると、人種問題や性差別に絡む発言が随所に飛び出した論戦が展開され、投票結果にも少なからぬ影響を与えたようだ。
経済的自信が背景
10月末に行われたカナダ・ケベック州の分離独立を問う州民投票は、わずか1.2ポイント(反対50.6%、賛成49.4%)の少差ではあったが、独立反対派が勝利を収め、「統一カナダ」の面目が保たれた。
アメリカの「メルティング・ポット政策」(るつぼのように国内で人種民族の融合を図る政策)とよく対比されるカナダの国策は「モザイク文化主義」。これは世界各国の移民が、それぞれ自国から持ち込んだアイデンティティーを大切にしながら、仲良くやっていこうという考え方である。
今回独立を勝ち取れなかった仏語系カナダ人たちも、もとをただせば350年ほど前にフランスから来た移民である。当時はヌーベル・フランスと称する仏国の植民地化で繁栄を見たが、その後18世紀半ばに英軍に敗れ、以後表舞台に出る機会がないまま今に至る歴史を持っている。
くすぶり続けている積年の恨みや、文化・言語を異にするために起こる意識の差が、国の多数を占める英語系カナダ人との対立をもたらすことが多い。ここに来て15年ぶりに、再度民族独立の機運が盛り上がったのは、独自の文化を失う危機感ばかりではなく、仏語系カナダ人の経済的自信が背景にあった。
加えてケベック独立の夢を30年来持ち続けていたパリゾー・ケベック州首相と、州民に絶大なる人気のあるケベック連合のルシアン・ブシャール党首という強力な2人のリーダーを得たからである。
現在ケベック州はその住民の8割がフランス語を母国語としているが、それこそモザイク文化主義を反映してエスニック(異民族)の人々も多く、そのバックグランドや言語はさまざまである。したがって「ケベック人とは?」の定義となると非常に難しい。
もちろん一般的には、ケベック州に住む州民はすべてその対象になると考えられるが、今回“イエス(独立)派”の集会で指導者たちがポロリポロリと失言した言葉を寄せ集めてみると、ケベック人とは“仏語を話す白人”というイメージが浮かび上がってくるのだ。
それを最も裏付けた発言は、分離独立が少差で否決された直後のパリゾー・ケベック州首相の演説である。「金(反対派の多い経済界)とエスニックの投票に負けた」の一言は、コメンテーターとして出演していたオンタリオ州のボブ・レイ新民主党党首が「お酒でも飲んでいるのか」と思わず言ったほどの驚きをもって受け止められた。当然嵐のような非難を浴びパリゾー氏は翌日辞任。
彼は元々ケベック州が独立できなければ辞めるつもりでいたとはいうが、この発言の影響は自明の理である。
「自尊心傷付けた」
またこれに先駆けて、投票前の舌戦中にブシャール・ケベック連合党首もケベック女性の少産化を憂える発言で論議を巻き起こした。いわく「ケベック州にこれほど子供が少ないのはおかしい。我々ケベック人は白人種の中で最も子供の数が少ない人種の一つである」と言ったのである。
独立反対派のクレチェン首相はこれを受けて「ケベック人とはフランス語を話す白人のみを指し、そしてもし女性ならもっと子を産まなければならないということなのか」と非難した。
各方面の女性団体や少数民族のグループから抗議が殺到し、「ケベック女性の自尊心を傷つけた、品位を落とす侮辱的な発言」「白人女性の少産化が問題ということは、非白人女性は十分に産んでいるという意味か」と批判した。
これに対しブシャール氏は「言葉を曲解している。この私が人種差別者?性差別者?とんでもない!」と自己弁護したが、ここでも“白人のみがケベック人”という意識がかい間見られる一幕であった。
こうした人種・性差別に絡む一連の発言には、その後公平を求める立場からシーラ・コップ副首相が選挙後の国会で再度追及し「正式な謝罪を聞いていない」と詰め寄るなど、今後とも長く尾を引く問題になることは間違いない。
加政府の課題山積
ブシャール氏はパリゾー氏の辞任を受けて次期ケベック州首相になる可能性も大きい。しかし自身の健康問題もあり「休暇中に家族と話し合って決める」と、その進退を一時棚上げしている。“協力的ではあるが政治好きとは言いがたい”夫人や、“レフレンダム(州民投票)”と聞くとペッとつばを吐くという4歳と5歳の息子たちの意向が、国の将来を左右するかにみえるのは面白い。
少差で連邦破壊がまぬがれたとはいえ、今後解決すべき問題が山積みされているカナダ政府は、また新たな正念場を迎える。
「3回目の州民投票を!」と意気込むケベック州を「独自の社会」として受け入れる話し合いや、莫大な赤字を抱える経済の立て直しも急務である。
先の見えない懸念、いら立ち、混乱を交えた気持ちで今カナダ人は、これからの成り行きをじっと見守っている。
日本経済新聞 1995年11月